ゆかりの人物

土岐氏

土岐氏は清和源氏の流れをくむ美濃を基盤とした武士の一族です。
家紋を旗印とした土岐一族の結束は「桔梗一揆」として有名で、将軍足利尊氏公や義満公からも絶対の信頼を得ていました。そのため初期の頃は美濃、尾張、伊勢の三ヵ国の守護(国を治める役職)を任命され、その後は戦国時代にかけて美濃一国の守護を務めていました。
風雲急を告げる戦国の世で、大桑の地(現在の岐阜県山県市高富地域の大桑地区)は、土岐氏と密接な関わりを持つことになります。1535年(天文4年)、長良川で大洪水が起こり、枝弘(現在の岐阜県岐阜市長良)にあった守護所(守護の居館)が水災により廃絶したことに伴い、大桑に守護所が移されました。そして、大桑城や城下町が本格的に整備されたと考えられています。

大桑城と守護土岐氏の関わり

西暦 元号 出来事
1467年 応仁元年 応仁の乱が始まる
1519年 永正16年 美濃国守護 土岐とき政房まさふさが死去
子の頼武よりたけが守護になる
1525年 大永5年 この頃から、斎藤さいとう道三どうさんの父が台頭する
1532年 天文元年 頼武が枝広(現在の岐阜県岐阜市長良)に守護所を置く
1535年 天文4年 長良川大洪水で守護所が水災
大桑城を整備し、守護所を移す
1536年 天文5年 頼武の弟・頼芸よりのりが守護になる
1542年 天文11年 斎藤道三が大桑へ進行する(「大桑大乱」)
1547年 天文16年 頼武の長男・頼純よりずみが死去する
1549年 天文18年 道三の娘・帰蝶きちょう濃姫のうひめ)が織田おだ信長のぶながに嫁ぐ
1552年 天文21年 道三が頼芸を大桑から追放し、守護土岐氏は没落する
道三が稲葉山城下町を整備する
1582年 天正10年 本能寺の変

※敬称略

土岐氏の家紋

守護土岐氏は、桔梗を家紋としていました。
白地に水色の桔梗の花を染め上げたもので「水色桔梗紋」といわれています。

土岐とき 頼芸よりのり

頼芸公は、美濃守護 土岐政房公の次男として1502年(文亀2年)に生まれた、美濃守護職土岐家の最後の武将。
兄・頼武よりたけを差し置いて父から深い寵愛を受けたことで、次第に兄弟の家督争いへと発展。1517年(永正14年)、ついに頼武派と頼芸派にわかれ家臣の内紛となりました。
頼芸公は、家臣の西村勘九郎(齋藤道三の父)の支持を受け、兄・頼武よりたけを破り美濃守護となりました。
その後、道三公によって次第に勢力を弱められ、200年にわたって美濃を支配してきた土岐氏は没落しました。

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