ゆかりの人物

斎藤氏

絹本著色斎藤道三像(常在寺蔵)

斎藤さいとう 道三どうさん

岐阜のまちづくりの基礎を築いたのは、実は織田信長公より以前の稲葉山城(現・岐阜城)の城主・斎藤道三公であったといわれています。道三公は、大河ドラマ「麒麟がくる」では明智光秀公の若き頃の主君として描かれる予定です。

戦国の風雲児と呼ばれ、司馬遼太郎の小説「国盗り物語」の主人公としても知られる戦国大名の斎藤道三公。美濃国の守護大名であった土岐氏に仕えた後、当主の土岐頼芸公を追放し、美濃国を手中に収めます。そして金華山山頂にある稲葉山城と山麓の居館を整備するため、山麓の丸山にあった伊奈波神社を現在の場所に移転。城下町の七曲通(現・本町周辺)には井口村の百姓に町屋を作らせ、百曲道(現・上大久和町周辺)には大桑(現・山県市)から町人を移住させて、新たにまちを設けたとされています。
道三公が始めた岐阜のまちづくりは、娘である濃姫の夫で後の岐阜城城主となる織田信長公に引き継がれ、現代でもその名残を感じることができます。

天文23年(1554)、道三公は家督を息子の義龍公にゆずりますがその後不和になり、弘治2年(1556)4月2日、長良川の戦いで敗北します。

絹本著色斎藤義龍像(常在寺蔵)

斎藤さいとう 義龍よしたつ

斎藤道三公の嫡男。隠居した道三公に代わって家督をゆずられたのが斎藤義龍公。しかし、義龍公の出生にまつわる疑惑もあり、領主になったにもかかわらず、道三公からは我が子とは思われなかったとも。「長良川の戦い」で父・道三公に勝利した義龍公は「権力を強奪した成り上がりもの」ではなく、正当な領主として認めてもらうことを望み、室町幕府の要人に働きかけて、美濃国主の地位を公認させます。そして、相次ぐ戦いで弱体化した国内を引き締めるための政策改革を行いました。1561年(永禄4年)5月に急死。34歳という若さでした。

濃姫のうひめ帰蝶きちょう

織田信長公のご正室。
濃姫は、斎藤道三公と可児明智城主(現在の岐阜県可児市)明智光継の娘で才色兼備といわれた小見おみかた (道三公の正室)との間に生まれた。美濃国主の娘であったため、美濃姫=濃姫と呼ばれるが、本名は「帰蝶」。また、「美濃国諸旧記」によると、濃姫の育ったところが鷺山城であったため、「鷺山殿」ともいわれていた。濃姫が信長と結婚後、どのような生涯を送ったかは、資料が少ないためほとんどわかっていないが、岐阜市不動町に「濃姫遺髪塚」といわれるものが残っています。

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