ゆかりの人物

織田氏

紙本著色織田信長像
長興寺(豊田市)所蔵/写真協力 豊田市郷土資料館

織田おだ 信長のぶなが

歴史上もっとも有名な戦国武将 織田信長公は、清洲 織田家の家老 織田信秀公の次男として尾張おわり 勝幡城しょばたじょうで生まれ、後の那古野城(現在の名古屋市)で育ちました。斎藤道三公の娘 濃姫と結婚したのち、家督を継ぎ、やがて尾張統一を果たします。
永禄10年(1567)、岐阜に入城した信長公は『井口』と呼ばれていた地名を『岐阜』と名付けるとともに「天下布武」を掲げ、天下取りの夢に着手します。明智光秀公が信長公に仕えたのも、このころからでした。
楽市楽座によるまちづくりや岐阜市の代表的な観光資源であります鵜飼の保護やおもてなしへの活用などを行い、それらは今もなお信長公の足跡として現在の岐阜市につながっています。

天正4年(1576)、信長公は岐阜城を長男・信忠公にゆずり、自らは安土城に移ります。そして天正10年(1582)、本能寺の変で光秀公に討たれ、その生涯を閉じることになります。

織田信長の略年表

西暦 元号 年齢 出来事
1534年 天文3年 1 尾張(現在の愛知県)に生まれる
誕生日は5月12日といわれています
1549年 天文18年 16 稲葉山城主・斎藤道三公の娘である濃姫と結婚
1552年 天文21年 18 織田家の家督を相続する(父・信秀が流行病により急死する)
1554年 天文23年 21 那古野城から清洲城(現在の愛知県清須市)へ移る
1560年 永禄3年 26 桶狭間の戦い
1563年 永禄6年 30 小牧山(現在の愛知県小牧市)に築城開始
1567年 永禄10年 34 稲葉山城を攻撃
城主・斎藤龍興(道三公の孫)を追放して入城!
町の名を「井の口」から「岐阜」に改名する
10月に楽市楽座制札を出す
11月に天下布武印を使い始める
1570年 永禄13年/元亀元年 37 姉川の戦いで朝倉・浅井連合軍に勝利!
1571年 元亀2年 38 比叡山延暦寺(現在の滋賀県大津市)を焼き討ち
1573年 天正元年 40 将軍・足利義昭を京都から追放
1575年 天正3年 42 長篠の戦いで武田勝頼(信玄の息子)に勝利!
1576年 天正4年 43 安土へ移る
1582年 天正10年 49 本能寺の変で自刃

※敬称略

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